論文抄録

第118巻第3号

特別講演Ⅰ

第117回 日本眼科学会総会 特別講演Ⅰ
新たなコンセプトを求めて
大橋 裕一
愛媛大学大学院医学系研究科眼科学講座

臨床所見をもとに病態を説明する仮説を立て,これを実証していくのは臨床研究者としての醍醐味である.この総説では自らの歩みの中で進めてきたいくつかの取り組みを紹介したい.
I.角膜感染症と闘う!
個々の時代の医療背景を受け角膜感染症の病原体は変遷を続けている.1970年代は角膜ヘルペスの全盛期であり,著者も,新たな抗ウイルス療法の開発やウイルスワクチンの研究に精力的に携わった.1980年代後半,アシクロビルの登場で鎮静化した角膜ヘルペスと入れ替わるように角膜内皮炎が出現した.進行性の角膜内皮障害,サイレントな前房内炎症,特異な角膜後面沈着物形成を特徴とするが,その病態基盤として,ウイルス抗原に対する前房関連免疫偏位(anterior chamber-associated immune deviation:ACAID)が作動している可能性を家兎モデルにおいて示した.近年,サイトメガロウイルスが本疾患の新たな病原体として注目を集めている.21世紀に入ると緑膿菌とアカントアメーバを代表的病原体とするコンタクトレンズ関連角膜感染症が若年層において急増し,レンズケアの重要性が再認識された.緑膿菌角膜炎については病原因子であるプロテアーゼに着目して研究を進め,macrophage inflammatory protein 2(MIP-2)を阻害するMucDセリンプロテアーゼの欠失株では角膜感染が成立しないことをマウス角膜炎モデルにおいて証明し,発症阻止メカニズムにおける好中球の重要性を再確認した.アカントアメーバに対するアプローチとしてはメチレンブルー光線力学療法(photodynamic therapy:PDT)による抗アカントアメーバ作用に加えて抗シスト薬であるポリヘキサメチレンビグアニド(PHMB)との相乗効果を見出し,将来の治療オプションとしての可能性を示した.
II.白内障術後眼内炎に挑戦する!
完成の域に達した近代白内障手術ではあるが,術後眼内炎は重篤な合併症の一つとして今も恐れられている.眼内炎発症の前段階として外眼部常在菌による前房内汚染は重要な位置を占める.脂溶性微粒子懸濁液による前房内の汚染シミュレーション実験により,切開後の前房形成や眼内レンズ挿入など,粘弾性物質を介する操作で汚染が生じやすいことを示した.多くの術後眼内炎が後嚢破損などの重大な術中合併症のない眼にみられるが,これを説明する仮説として後房経由の硝子体バリア破綻の可能性が考えられる.我々はガドニウムMRIを用いた眼内灌流液の可視化手法やside view techniqueを豚眼に応用し,前部硝子体膜裂孔(anterior hyaloid membrane tear:AHT)と命名したバリア破綻がハイドロダイセクションに伴う眼内圧上昇に関連して発生することを示した.術後眼内炎のうち最も視力予後が不良とされる腸球菌眼内炎については,疫学調査の結果,視力予後良好例と不良例に二分されることが明らかとなった.視力予後には腸球菌が産生するプロテアーゼが強く関与しており,特に網膜における急性循環障害を惹起しているものと推測される.
III.涙液クリアランスを考える!
涙腺より産生されて眼表面を潤し,涙道から排出される中で,涙液は「lacrimal river」と呼ぶべき流れを作っている.涙液に関連したさまざまな病態を解明していくうえで,その動態や質の変化をベースに考えていくことは重要である.我々は余剰の涙液排出機構の一つであるKrehbiel flowに着目し,poly(methyl methacrylate)(PMMA)粒子による可視化を試みるとともに,前眼部光干渉断層計を用いた負荷涙液クリアランス試験を新たに考案した.涙液層に量的負荷を与えたとき,高齢者のクリアランス効率は若年者に比較して有意に低下していた.また,涙液の質的変化を蛋白質レベルで解析する目的で,高感度絶対定量法による涙液プロテオーム解析システムを開発し,予備的な検討において高年者の涙液に多量の炎症性産物が含まれていることを明らかとした.若年者では新鮮な涙液への交換が常に行われるのに対し,高齢者では古い涙液を再利用せざるを得ない環境となっており,これが外眼部疾患の病態形成に影響を与えている可能性がある.
IV.角膜浮腫を見直す!
臨床例での観察によれば,内皮機能障害からの回復過程において角膜浮腫はまず中央部から消退し,周辺部に残存する傾向を示すこと,内皮機能不全に至る場合はその逆で,周辺部から浮腫が生じ最終的に中央部が障害される.この現象は,中央部から周辺部へ向かう水移動の存在を仮定すればうまく説明できる.現在,家兎を用いた内皮障害モデルにおいてこの仮説を支持する結果が得られつつある.(日眼会誌118:155-188,2014)

キーワード
角膜ヘルペス, 角膜内皮炎, コンタクトレンズ関連角膜感染症, 緑膿菌, 白内障術後眼内炎, 前部硝子体膜裂孔, 涙液クリアランス, 前眼部光干渉断層計, Krehbiel flow, 涙液プロテオミクス, 角膜浮腫
別刷請求先
〒791-0295 東温市志津川 愛媛大学大学院医学系研究科眼科学講座 大橋 裕一
ohashi@ehime-u.ac.jp