「緑内障」については,『ヒポクラテス全集』で,瞳孔の色を海の色に喩えた記述が,最古の文献的記載であるといわれている.江戸前期までの日本においては,馬島流などの眼科諸流派の医書(いわゆる秘伝書)で,「青内障(アヲソコヒ)」という用語が記載されているが,「緑内障」という名称は用いられていなかった.「青内障」の青は,五行思想の影響下にある五元素の色の名称の一つであると想定され,「赤内障」,「黄内障」,「白内障」,「黒内障」などと併記されることが多い.日本医書において「緑内障」の病名が出現するのは,江戸後期に蘭学者による蘭書の和訳書が刊行された以降と思われる.これは,ヨーロッパ医学の「Glaucom(Glaukom/glaucoma)」という病名が「緑色」を意味するGlaukos(グラウコス)という古代ギリシア語に由来することによると考えられた.東京大学創設期の外国人教師や(東京)帝国大学初代眼科教授となった河本重次郎の著書を含めて,明治期以降の教科書では,「緑内障」と記載されることが一般的になった.(日眼会誌120:369-381,2016)