論文抄録

第124巻第3号

評議員会指名講演I

第123回 日本眼科学会総会 評議員会指名講演I
難治性眼疾患への挑戦
三叉神経と角膜輪部幹細胞:神経麻痺性角膜症の病態と治療戦略
雑賀 司珠也
和歌山県立医科大学医学部眼科学講座

難治性の角膜創傷治癒不全を伴う疾患として,角膜組織への重篤な外傷である角膜アルカリ外傷モデルを用いた病態検索と新規の治療戦略の提唱,および感覚神経損傷による角膜恒常性破綻として神経麻痺性角膜症のマウスモデルでの著者らの病態解析と新規治療戦略探索の研究成果をレビューする.これらの病態を呈する症例は決して多くないため,詳細な病態解析は動物モデルに大きく依存する.
重症の角膜アルカリ外傷症例の一次医療機関での初動的治療は,徹底した洗浄,角結膜の炎症の抑制とその後の治癒過程での眼表面の線維・瘢痕化の制御である.動物モデルを用いた研究から角膜外傷時の炎症と線維・瘢痕化の過程ではトランスフォーミング成長因子β(TGF-β)シグナルが中心的役割を担っているが,クロストークを介して種々の因子がさらに制御していることが判明している.そのクロストーク因子の中に細胞膜イオンチャネルの一群であるtransient receptor potential(TRP)イオンチャネルの役割の解明とその制御による治療効果の可能性についての実験研究結果を述べる.TRPイオンチャネルは,カルシウムイオン透過性を示す非選択的なカチオンチャネル機能を持つ侵害刺激受容に関わり,それぞれ特異的リガンド,または活性化温度帯を持つチャネル型受容体のファミリーを形成している.TRP vanilloid(TRPV)1,TRPV4またはTRP ankyrin 1(TRPA1)のノックアウト(KO)マウスでは,アルカリ曝露後の角膜の炎症と線維・瘢痕化が軽減されていた.KOマウスと野生型マウスの相互の骨髄移植実験による表現型解析の結果,TRPV1-KOマウスとTRPA1-KOマウスの表現型は骨髄由来細胞よりも組織の細胞に依存するが,TRPV4-KOマウスのそれは両者に依存することを示した.最後にそれは,それぞれの低分子阻害薬の全身投与で再現され,新規治療戦略の可能性を示唆した.
次いで,同じく難治性角膜創傷治癒不全の病態として神経麻痺性角膜症のマウスモデルでの病態解析結果を,文献的考察を交えて述べる.マウスを用いて頭蓋内で三叉神経第一枝を強く凝固すると,角膜潰瘍が自然発症した.一方,三叉神経第一枝の凝固レベルを減弱させると,角膜は自然発生的な病変を伴わなかったものの,上皮欠損作製後の治癒が遅延した.この場合,輪部には神経が残存していた.このとき,輪部上皮基底細胞の幹細胞マーカーの発現低下,神経成長因子(NGF)の発現低下と細胞増殖の抑制が認められた.このときの創傷治癒過程にある角膜でTRPV4 mRNAの発現低下が検出された.TRPV4-KOマウスの角膜上皮創傷治癒過程においても同様の輪部上皮幹細胞の障害が観察され,アデノ随伴ウイルスベクターを用いた頭蓋内三叉神経へのTRPV4遺伝子導入はKOマウスの表現型をレスキューした.さらに三叉神経障害モデルでもTRPV4遺伝子導入は遅延した角膜上皮障害をレスキューした.TRPV4-KOマウスでTRPV4遺伝子を導入した三叉神経節,またはしていない三叉神経節と角膜上皮細胞との共培養では,遺伝子導入を受けた神経節と共培養された角膜上皮細胞でNGFの発現増加がみられた.海外で神経麻痺性角膜症の治療薬としてNGF局所投与の有効性が認識され,その臨床使用が認可された.課題としての神経節と上皮細胞の連絡を担当する液性因子を同定することがin vivoでの現象のさらなる理解と今後の治療戦略の開拓に必要である.
角膜アルカリ外傷では炎症や線維・瘢痕化に関する細胞で,神経麻痺性角膜症モデルでは三叉神経でTRPイオンチャネル由来のシグナルが創傷治癒過程を制御していた.後者の病態では三叉神経からの何らかの液性因子が輪部幹細胞の維持と角膜上皮の恒常性維持に重要な役割を果たしていることが解明できた.難治性の角膜創傷治癒不全を伴う疾患の予後改善の目的にTRPイオンチャネルによるシグナルとそれに関連する因子を標的とした治療戦略が期待できる.(日眼会誌124:185-219,2020)

キーワード
角膜, 上皮, 創傷治癒, アルカリ外傷, 炎症, 線維化, 三叉神経, transient receptor potential vanilloid 4(TRPV4), 輪部, 幹細胞, 神経成長因子(NGF), 神経麻痺性角膜症, マウス
別刷請求先
〒641-0012 和歌山市紀三井寺811-1 和歌山県立医科大学医学部眼科学講座 雑賀 司珠也
shizuya@wakayama-med.ac.jp