論文抄録

第125巻第3号

評議員指名講演II

第124回 日本眼科学会総会 評議員会指名講演II
眼疾患とバイオマーカー
バイオマーカーの視覚化による疾患病態理解と治療法開発への挑戦
久冨 智朗
福岡大学筑紫病院眼科

バイオマーカーとはさまざまな生理的な状態,疾患の病態の変動や,治療に対する反応などと相関する,生体試料から得られる客観的指標とされる.我々は疾患病態理解のためのバイオマーカーという観点から研究を行った.疾患病態理解のためのバイオマーカーとして,次の3つに着目した.①分子生物学的マーカーとしては網膜神経細胞死のバイオマーカー,加齢黄斑変性におけるオートファジー,②病理学的マーカーとして緑内障眼の線維柱帯と細胞外マトリックス,③手術所見マーカーとしてBrilliant Blue Gによる眼内膜の可視化,新規硝子体手術用補助剤の開発に着目して紹介する.
I.網膜神経細胞死のバイオマーカー
網膜神経細胞死を示すバイオマーカーは少なく,研究戦略を考えるうえで,対象疾患は慢性疾患ではなく発症時期が分かりやすく手術で検体採取可能な疾患として,裂孔原性網膜剝離を選定した.障害関連分子群(DAMPs)と呼ばれる分子群の中で,アデノシン三リン酸(ATP)に着目した.眼内の細胞外ATPは累積細胞死量ではなく,リアルタイムの細胞死のバイオマーカーとなり得た.また分解酵素ectonucleoside triphosphate diphosphohydrolase-1(ENTPD1)は過剰なATPを分解する神経保護作用のマーカーとなり得ることが分かった.今後の網膜神経細胞死・神経保護療法研究の重要なバイオマーカーと考えられた.
II.加齢黄斑変性とオートファジー
ドルーゼン形成は加齢黄斑変性の発症と密接な関係があり,前駆病変として知られている.加齢黄斑変性のバイオマーカーであるドルーゼン形成の分子機序を解析し,加齢によるオートファジー機能不全がドルーゼン形成に重要であった.この過程に網膜色素上皮細胞のオートファジーが深く関与しており,リソソームの生合成とオートファゴソームの成熟に必要な糖蛋白質であるリソソーム関連膜蛋白質-2(LAMP2)が重要な役割を果たしていることを明らかにした.オートファジーの分子機序に着目した戦略を立てることで,加齢黄斑変性の治療戦略や予防法開発に役立つと考えられた.
III.緑内障眼の線維柱帯と細胞外マトリックス
病理学的解析とは疾患病態のありのままの状態や原因を直接に観察するものであり,病理学的バイオマーカーは疾患病態理解のためには最も適していると考えられる.本稿では緑内障眼の線維柱帯と細胞外マトリックスに焦点を当てた.切除された線維柱帯を立体的に観察し,前房側とSchlemm管側の両側からの観察を可能とした.前房側の線維柱帯の肥厚,間隙の狭小化や閉塞も著明であった.落屑様物質の線維柱帯,角膜裏面への沈着が立体的に観察できた.病理学的バイオマーカーの可視化が緑内障疾患病態解明に有効であった.
IV.Brilliant Blue Gによる眼内膜の可視化
水晶体囊や内境界膜などの透明な膜組織を捉える視覚的バイオマーカーは手術の成否を決める重要な情報である.我々は認識困難な手術所見を視覚化することを目指して,手術用補助剤Brilliant Blue G250の臨床応用を行ってきた.2014年には内境界膜染色を対象とした医師主導治験を終了し,今回水晶体前囊染色への適応拡大を目指して水晶体前囊可視化検討(多施設共同第III相医師主導治験)を施行した.視覚化された手術所見バイオマーカーは大変有効で,治療の安全性や効率を改善すると考えられた.
V.新規硝子体手術用補助剤の開発
多くの網膜硝子体疾患は網膜と硝子体の境界,網膜硝子体界面で起きる.後部硝子体剝離後であっても,網膜面上には残存硝子体皮質が存在する.内境界膜剝離は有効な一方で網膜の病理学的変化を来し,依然術者の技量に依存する手技で,安全性や再現性の問題からさらなる手術術式の改良が必要である.この網膜の障害を最小限に抑えかつ網膜面上の膜組織を効率的に除去するために,手術所見バイオマーカーに新たな機能を加える,新しいコンセプトに基づいた新規硝子体手術用補助剤の創出を行った.新規硝子体手術用補助剤は高い生体適合性と術中操作性を併せ持ち,今後さらに臨床応用に向けた取り組みを進めたい.
本稿では認識困難なバイオマーカーを分かりやすく視覚化することで疾患病態理解や治療法開発へ挑戦した成果を紹介する.(日眼会誌125:266-284,2021)

キーワード
網膜神経細胞死, 網膜剝離, 加齢黄斑変性, オートファジー, 線維柱帯, ブリリアントブルーG
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