論文抄録

第127巻第3号

評議員会指名講演III

第126回 日本眼科学会総会 評議員会指名講演III
眼科診断・治療のイノベーション
ゲノム医療による眼疾患の診断・治療のイノベーション
西口 康二
名古屋大学大学院医学系研究科眼科学分野

眼科領域でのゲノム医療のプレゼンスは現時点では限定的である.しかし,来るべきゲノム医療時代を見据え,ゲノム情報を用いた先端的な研究を牽引することは,臨床検体にアクセスのある眼科アカデミアの使命である.我々は,眼感染症のゲノム診断と網膜ジストロフィに対するゲノム編集遺伝子治療のトランスレーショナルリサーチを重点テーマとして定め,それらの開発に取り組んでいる.本稿では,これらの新しいゲノム診療プラットフォームの構築と臨床実装を目指した研究の最新の成果を紹介する.
I.Nanopore長鎖シークエンシングの眼感染症診断への応用
近年,感染症の領域では,培養するプロセスを経ることなく,検体中の微生物群のDNAやRNAを直接精製し,網羅的にシークエンシングする「メタゲノム解析」が研究に広く用いられている.我々は,簡便性・迅速性に優れた人工知能搭載の長鎖シークエンサーであるNanoporeを用いた眼感染症診断のための新しいメタゲノム解析プラットフォームの開発に取り組んでいる.Multiplexポリメラーゼ連鎖反応(mPCR)でヘルペス属ウイルスなどが検出され診断のついた症例の前房水・硝子体液を対象にNanoporeを用いてメタゲノム解析を行ったところ,多くの検体で診断どおりの病原体が確認された.しかし,一部の検体では病原体が検出されず,さらに,微生物ゲノムのコンタミネーションがあることも判明した.そこで,これらの問題を克服し,起炎微生物を網羅的に探索することを目的に,mPCR陰性症例と対照を複数例解析し,結果を両群で比較するメタゲノム関連解析を行った.しかし,解析により起炎微生物由来と推測されるゲノム断片は検出できたものの,それはChlamydia Trachomatisなど複数の微生物が共通に持つ配列であることが後に判明した.以上より,現時点では,メタゲノム関連解析で検出されたmPCR陰性ぶどう膜炎に関連するゲノムの正体は絞り切れていない.現在,検出されたゲノム断片の由来である病原体を特定するために,多面的なゲノム解析を実施中である.
また,Nanoporeメタゲノム解析では一部のぶどう膜炎症例においてtorque teno virusが検出された.同ウイルスは,これまで免疫抑制状態との関連が報告されているが,眼科領域での報告は未だ少ない.そこで,ぶどう膜炎症例において,定量的PCR(qPCR)を用いて前房水中のtorque teno virusの有無を調べ,全身性の免疫能低下の病歴との関連を解析した.その結果,ベースに全身性の免疫能低下がある患者では同ウイルスの検出率が高いことが判明した.このことは,torque teno virusの眼内感染と眼内の免疫能低下の関連性を示唆している可能性がある.
II.網膜疾患に対するゲノム編集遺伝子治療戦略
現在行われている眼疾患に対する遺伝子治療の多くはadeno-associated virus(AAV)ベクターを用いた遺伝子補充療法である.この治療の基本コンセプトは,機能喪失型の変異を持つ病的細胞に正常コピーの全長遺伝子を導入することで,欠損遺伝子の機能を補完することである.しかし,AAV容量の制約により,遺伝子補充療法では小さい病因遺伝子しか治療できない.したがって,この方法で治療できる日本人の網膜色素変性患者は,現状で全体のわずか数%程度である.それに対して,ゲノム編集遺伝子治療ではゲノム局所を標的とするため,治療対象の遺伝子のサイズに依存せず,理論的にはほとんどの遺伝子変異の治療が可能である.しかし,ゲノム編集遺伝子治療の治療効率は低く,そのことが臨床応用を妨げている.
我々は,臨床応用を念頭にAAVゲノム編集遺伝子治療の効率改善に取り組み,3つの異なるゲノム編集手法を開発した.最初に,汎用性の高いプラットフォームとして,変異を正常配列に置換可能な単一AAVゲノム編集遺伝子治療プラットフォームを開発し(変異置換ゲノム編集遺伝子治療),その有効性をマウスモデルで証明した.続いて,塩基の挿入や欠失によって生じるフレームシフト変異を対象とし,ずれたフレームを元に戻すことに主眼を置いたシンプルかつ治療効率の高いゲノム編集法(リフレームゲノム編集遺伝子治療)を開発した.この方法を用いて,日本人網膜色素変性患者の約12%が保有するeyes shut homolog(EYS)遺伝子のS1653Kfs変異を有する患者由来細胞株を対象に,その有効性を実証した.最後に,マイクロホモロジー媒介末端結合(MMEJ)とhomology-independent targeted integration(HITI)の異なる2つのゲノム修復法をコンパクトに組み合わせたMMEJ-Hゲノム編集遺伝子治療を新たに考案し,イントロンなどの非翻訳領域を主なターゲットとする治療の開発を進めている.
今後も,幅広い眼疾患に対して,ゲノム関連技術の応用にフォーカスを当てた挑戦的なトランスレーショナルリサーチを展開し,眼科アカデミアとして,ゲノム医療の発展に貢献していきたい.(日眼会誌127:402-422,2023)

キーワード
眼感染症, メタゲノム解析, 遺伝性網膜変性疾患, 遺伝子治療, ゲノム編集
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