論文抄録

第125巻第3号

特別講演II

第124回 日本眼科学会総会 特別講演II
眼科遺伝学―分子遺伝学と難治性眼疾患治療への展開―
村上 晶
順天堂大学大学院医学研究科眼科学

この40年の眼科遺伝病に関する知見の増加には目覚ましいものがあり,眼科診療の中での遺伝学の重要性が増している.1980年代には,最初の癌抑制遺伝子としてRB1が発見され,網膜芽細胞腫の発生と遺伝の仕組みが解明されている.その後の分子遺伝学の進歩により,RB1の機能障害を来すバリアント(遺伝子変異)の同定と病態の理解が得られ,現在では網膜芽細胞腫患者の血液細胞でのRB1遺伝学的検査は患者のみならず,家族のケアや遺伝カウセリングのための情報を提供しうるものとなっている.さらに,この10年の間にメンデル遺伝病の解析にはパラダイムシフトといえる大きな変化が起きている.すなわち,いわゆる次世代シークエンス法(NGS)と呼ばれる,大量並行シークエンシング原理を用いた解析法の普及である.この技術により,遺伝性疾患の患者と家族の遺伝子解析の効率が格段に向上している.我々のグループは,遺伝性の角膜ジストロフィ,視神経疾患,そして遺伝性網膜脈絡膜疾患(IRD)にフォーカスして遺伝子解析を行ってきた.角膜ジストロフィでは比較的高頻度の遺伝子変異が同定されており,従来のSanger法での解析法でも効率よく遺伝学的な結論を導けることが多いが,IRDは遺伝的異質性(genetic heterogeneity)などに阻まれて多くの症例で原因遺伝子の特定がなされていなかった.また,我々の症例の半数以上は網膜色素変性であるが,時に進行した黄斑ジストロフィや錐体杆体ジストロフィとの鑑別は難しいことがある.この遺伝的異質性のため,IRDの遺伝子解析にはNGSが広く用いられ,疾患の理解に目覚ましい成果がみられつつある.多くは,原因となりうる多数の既知(あるいは候補)遺伝子のみを同時に解析するターゲットシークエンシングか,エクソン(蛋白質をコードする部分)を原則すべて解析するエクソーム解析が行われることが多いが,ゲノム全部を解析するホールゲノム解析が行われることもある.我々は130種の遺伝子を解析するターゲットシークエンシングを導入しているが,他施設の報告と比べてもまずまずの効率(おおよそ40%)で原因を同定できている.今後,未解決例の割合を減らすための技術的かつ遺伝学的課題に取り組む必要がある.かなりの頻度で出現する病的意義があるかどうか不明のバリアント(variant of unknown significance:VUS)の機能的評価,遺伝子の欠損やコピーナンバー異常(CNV)の検出などが直面している課題である.また,遺伝子変化の影響を把握するために,さまざまなコンピューターによる解析プログラムを用いて解析が行われているが,遺伝子変化を持った細胞を用いたウェットな解析の重要性が再認識されている.近年の細胞リプログラミング技術の進歩により,人工多能性幹細胞(iPSC)を用いて網膜オルガノイドを作製して,in vitroで疾患のモデルを構築することが眼科医にも可能ではないかと思えてくる.現在,原因バリアントが同定された網膜色素変性,錐体ジストロフィ,Stargardt病症例の単球細胞からiPSCを樹立しており,さまざまな困難があるが,新たな治療薬の探索のための網膜オルガノイドを用いた実験系の確立に取り組んでいきたい.(日眼会誌125:210-229,2021)

キーワード
角膜ジストロフィ, 網膜色素変性, 黄斑ジストロフィ, 難病, 分子遺伝学
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