網膜は視機能に重要な組織であり,網膜神経細胞死は視機能の低下,消失につながる.2006年の厚生労働省難治性疾患克服研究事業の統計による失明原因の上位疾患は,視細胞または網膜神経節細胞の神経細胞死が原因であるという共通点がみられる.したがって,神経細胞死を抑制する網膜神経保護は網膜疾患に対する究極の治療であるといえる.我々は網膜疾患に対する網膜神経保護として直接的神経保護,間接的神経保護,手術侵襲への神経保護,低侵襲検査機器の開発という4つの視点からの“網膜の包括的神経保護”を目指した研究を行った.
I.直接的神経保護
近年の研究でアポトーシスが多くの眼科疾患の病態に重要であることが報告されている.アポトーシス制御機構の中で,我々はアポトーシス促進因子(apoptosis-inducing factor:AIF)に着目し,AIFの制御が網膜神経保護の治療標的になると考え研究を進めた.網膜剥離動物モデルにおける視細胞死にAIFの関与を確認し,AIF標的薬であるネルフィナヴィルが網膜剥離による視細胞死を抑制した.また網膜色素変性においてもAIFが関与し,その促進因子としてゲノム酸化損傷が重要であることを観察した.さらに,神経栄養因子である色素上皮由来因子(pigment epithelium-derived factor:PEDF)はAIFの放出を抑制することで視細胞保護効果を示した.PEDFを遺伝子導入する視細胞保護遺伝子治療の臨床応用に向けて,現在準備を進めている.
II.間接的神経保護
増殖糖尿病網膜症に伴う線維血管増殖組織(以下,増殖組織)は,その収縮による牽引性網膜剥離など,視細胞死に直結し失明の原因となる病態である.増殖組織制御は間接的視細胞保護につながると考え,包括的遺伝子解析による標的因子検索を行った.その結果,我々は対照の黄斑上膜に比べ,増殖組織での遺伝子発現頻度が有意に高値を示したペリオスチンに着目した.ペリオスチンは正常網膜には発現せず,増殖組織のα-smooth muscle actin(α-SMA)陽性細胞に特異的に発現していた.またスプライスバリアントが存在し,ペリオスチンバリアント特異的な増殖組織制御が観察された.
III.手術侵襲への神経保護
眼科手術における眼内組織染色法は硝子体手術において重要であり,ブリリアントブルーG(brilliant blue G:BBG)は我々が見出し,2010年からEU圏ではILM blue®として認可を受け使用されている安全性の高い色素である.BBGは色素としての染色作用を持つだけでなく,細胞膜に発現するP2X7受容体の選択的アンタゴニストである.さまざまな疾患へ関与するアデノシン三リン酸(adenosine triphosphate:ATP)がCa2+流入,カスパーゼ活性化を介し視細胞死を誘導し,その視細胞死がBBGにより抑制された.BBGは染色剤としての利点に加えて,神経保護効果を持つ薬剤としての臨床応用が期待される.
IV.低侵襲検査機器の開発による網膜神経保護
網膜循環障害を来す疾患では酸素飽和度の低下により視細胞傷害が生じる.したがって,網膜の酸素飽和度計測は網膜神経保護の観点から重要である.今回,2波長同時計測,closing演算と線集中度フィルターによる画像解析法を利用した独自の網膜酸素飽和度計測装置を開発した.
網膜疾患に対する治療アプローチの開発,臨床応用は目覚ましいものがあるが,依然として視機能の維持や回復が困難なものも多い.網膜は神経組織であり,神経保護療法は最も重要な治療アプローチといえ,今回示したような“包括的神経保護”という概念がさらに重要になると考えられる.(日眼会誌116:165-199,2012)