論文抄録

第116巻第3号

評議員会指名講演III

第115回 日本眼科学会総会 評議員会指名講演III
緑内障研究の進歩
緑内障性視神経症への挑戦:新しい病態論の提唱と他覚的機能解析方法の改良
中村 誠
神戸大学大学院医学研究科外科系講座眼科学分野

緑内障性視神経症は緑内障における視機能障害の本態とされる.しかし,眼圧を筆頭とするさまざまな危険因子がどのようにして緑内障性視神経症を引き起こすのか,未だ十分に解明されていない.また,視機能障害の評価に用いられる静的·動的視野検査は心理物理学に基づく自覚的検査であるため,客観的な他覚的検査法の導入が望まれてきた.本研究において我々は緑内障性視神経症の病態と他覚的視機能解析方法に関して検討を行った.
アクアポリン(aquaporin:AQP)水チャンネルは,ホモないしヘテロ四量体として主に細胞膜に存在し,細胞内外への双方向性の水輸送を担っている.AQPによる水輸送は,神経細胞が活動電位を迅速に繰り返し発生させるのに不可欠である.既報の13のアイソフォームのうちAQP-4が球後視神経には発現するが,視神経乳頭部には発現していないことが知られていた.我々は,ラット視神経のアストロサイトは,無髄·有髄領域にかかわらずAQP-9を発現していることを見出した.上強膜静脈焼灼による慢性高眼圧によって,AQP-9の免疫染色性と遺伝子発現が著しく減弱したが,球後のAQP-4の発現に変化はなかった.同様の変化は,隅角レーザー誘発高眼圧サル眼やヒト緑内障眼の視神経でも確認された.さらにAQP-9は正常ラットでは網膜神経節細胞の細胞体にも発現していたが,慢性高眼圧眼ではその発現が有意に減弱していた.すなわち,慢性高眼圧は,視神経乳頭のアストロサイトと網膜神経節細胞の細胞体という,緑内障性視神経症の発症に深く関与している細胞ならびに部位におけるAQP-9の発現を減弱させていた.近年,神経科学の分野では,解糖系によりブドウ糖から代謝されて産生された乳酸がエネルギー基質としてアストロサイトから神経細胞へ供給されると考えられるようになった(astrocyte-to-neuron lactate shuttle hypothesis).AQP-9は,水以外に乳酸などの溶質も輸送するアクアグリセロポリンに属する.AQP-9のdown-regulationにより,エネルギー基質である乳酸が網膜神経節細胞とその軸索へ正常に供給されなくなることが,緑内障性視神経症の発症に関与している可能性がある.
多局所視覚誘発電位(multifocal visual evoked potential:mfVEP)は一度に60か所の局所網膜に対応する視覚誘発電位を記録することのできる他覚的視野検査である.同時に複数のチャンネルから記録することで,信号雑音比(signal-to-noise ratio:SNR)は向上した.しかし,これまでの研究対象はおおむね白人であったため,骨格の異なる日本人に適した記録方法はまだ確立されていなかった.200例の頭部磁気共鳴画像(magnetic resonance imaging:MRI)から鳥距溝の後頭結節に対する相対位置関係を計測したところ,白人に比べ,その相対位置関係は約1 cm有意に低かった.次いで,3チャンネルからのmfVEP同時記録ならびに信号窓と雑音窓におけるSNR分布の受信者操作特性(receiver-operating characteristic:ROC)曲線解析を行った.その結果,日本人においては,後頭結節を挟む水平チャンネルと二組の垂直チャンネルのいずれかを組み合わせた2チャンネルを用いてmfVEP記録すると,ROC曲線下面積(area under the ROC curve:AUC)が最も大きくなることを見出した.次にHumphrey視野計の平均偏差が-15 dB未満の初期から中期緑内障56眼ならびに正常62眼において,このSNR-AUCがHumphrey視野計のトータル偏差に対して,同等の緑内障診断能ならびに高い相関を示すことを見出した.一方,確率プロットに基づく,Humphrey視野とmfVEP間の障害部位のトポグラフィカルな一致率は中程度であった.従来検討されてきたSNRの確率プロットのクラスター判定が局所の感度低下の診断に有用であるのに対して,SNR-AUCは,平均偏差に類似した,緑内障性視神経症のびまん性機能障害を定量するグローバル·インデックスとして用いることができる可能性がある.(日眼会誌116:298-346,2012)

キーワード
緑内障性視神経症, アクアポリン, 多局所視覚誘発電位, 他覚的視野検査
別刷請求先
〒650-0017 神戸市中央区楠町7-5-1 神戸大学大学院医学研究科外科系講座眼科学分野 中村 誠
manakamu@med.kobeu.ac.jp