戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した細川忠興は眼病を患い,視機能低下によって苦慮した晩年を迎えていた.彼の眼病については,熊本藩細川家記や彼自身の書状,家臣団の書簡や有形文化財において多くの記録が残されている.彼は,数名の眼科医の診察を受け,“そこひ(眼内疾患の古名)”と診断されているが,最終的には馬島(真嶋)流眼科による外科治療を受けたものの,眼病は徐々に悪化していったと思われる.本総説において,彼の眼病を題材として,江戸時代初期の眼科事情について考察を加えた.(日眼会誌122:675-684,2018)